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彼女の福音

弐拾参 ― お義母様とおよび ―

「おや、今日はいつにもまして綺麗だねぇ」

 敬一さんが目を細めて言ってくれた。

「あらあなた、お上手なんだから」

「いやいやいや。君はまさに人の里に迷い込んだ花の妖精のようだよ」

 ははははは、と笑う敬一さんのそばで、杏ちゃんがげんなりした顔をして立っていた。

「朝っぱらからこんな会話……」

「やぁ杏ちゃん。パパのディアレストドーターは、ご機嫌いかが?」

「はいはい元気よ。それよりもパパ、今日のこと覚えてるわよね?」

 敬一さんは思慮深げな表情をすると、ぽん、と手を叩いた。

「もちろんだとも。今日はいつもは一人暮らししてるプリチー杏ちゃんが、パパとママの元でのんびり羽を伸ばしてくれる日じゃないか」

「ちっがーうっ!!」

 「が」にアクセントを乗せて、杏ちゃんが大声を出した。あらあら、敬一さんたら。

「ふむ。じゃあ今日は杏ちゃんと椋ちゃんがはじめてお使いをした記念日かなぁ?あれはドキドキハラハラだったね。パパ、何度も物陰から飛び出そうに……」

「……ママ、この年中親馬鹿に教えてあげて」

「杏ちゃん、パパの事をそんな風に言っちゃだめよ」

「はいはい」

 私は洗物を終わらせると、敬一さんに向き直った。

「あなた、今日はね、特別な日なんですよ」

「特別な日?ほほう」

「ええ。今日はね、杏ちゃんが、ボーイフレンドをお連れする日なんですから」

 ぴし、という音がした。敬一さんが石に変わる。

「ハハハ、ままハ冗談ガウマイナァ」

「冗談じゃないわよ。だから、今日はあたしの彼氏がパパとママに挨拶しにくるんだから」

「誰が?」

「彼氏」

「誰の?」

「あたしの」

「誰に?」

「パパとママにだってば」

 軽石にお湯がしみ込んでいくように、その言葉はゆっくりと敬一さんの頭の中に入っていった。

「のぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」

 

 

 

 

 

「杏ちゃんの彼氏……くそ、どこの馬の骨だ?慶応ボーイか?東大坊主か?もし私立大だったら、ただじゃおかんぞっ!!」

 敬一さんは先ほどからイライラしながらリビングを行ったり来たりしている。私はと言えば、さすがにもうこれで二度目なので(椋ちゃんのときもこういうリアクションをしていた)、少し慣れている。

「あなた、学問のみで人の良し悪しは決まりませんよ」

「わかっとる、わかっとるとも。ああ、しかし。椋ちゃんがあんなひょろひょろ三文記者についていってしまうとは……!!不覚だっ!!」

 そういえば、先週椋ちゃんから電話があった。勝平さんがデスク仕事や、せいぜい国内の旅行記を書いているから、一緒にいられる時間が増えてよかった、とか。うふふ、初孫の顔が見られるのも、そう遠い話じゃないのかもしれない。

「あ、そうだ、一応電話しておきましょう」

 私は家庭電話の子機を取ると、椋ちゃんと勝平さんに電話をした。すると色よい返事が。特に勝平さんの「お義母さんにもお義父さんにもお土産があるんです」とか言ってくれるあたり、ああ、この人はできた人なんだなぁ、と感嘆してしまう。

「ふん、まぁいい。所詮は人間だからな。杏ちゃんの美貌と性格、には少し問題があるか、まぁそれにぞっこんになるのは、まぁ自然な成り行きではあるな」

 電話を終えると、腕組みをした敬一さんが鼻を鳴らした。

「杏ちゃんのお話によると、告白したのは杏ちゃんだそうですよ?」

「何だとっ!私の杏ちゃんを、その馬の骨が惑わしただと?ああ、くそ、純粋なハートを持つ杏ちゃんを、甘美な言葉と思わせぶりな態度でキャッチしちまったふぁっきん小僧なのか、今日の相手は!」

「相手、と言っても、喧嘩するわけじゃないでしょ、あなた?」

「こういうことになるんだったら、私の職場にポストを開けておくべきだったっ!!」

「あなたの職場には、信用ならん狼共がいっぱいだから、杏ちゃんを近づかせるわけにはいかない、って言ってたじゃないですか。それに、幼稚園の先生は、杏ちゃんの子供の頃からの夢です」

 ぴしゃり、と言ってのけると、敬一さんはソファーに沈み込んだ。

「大体、あなた、あなただって私達のときのこと、覚えているでしょう?」

「あ、ああ……あれは新入社員歓迎会のときだった」

 二人であの頃の事を思い出す。

「私は父親のコネで受付嬢としてスタートを切り、あなたはコンサルタントとして将来を期待されていた」

「あのままだったら、役員になるのも不可能な話じゃなかった。しかし、私は君と出会った」

「私の父は、あなたをとうとう認めなかったんですよね。ですから、二人で駆け落ちをして」

「今でも思うよ。ああ、あの時あの会社でのキャリアを不意にして、君との人生を歩めてよかった、と。君は私の全てなんだから」

「ふふふ、あなた、ありがとうございます」

 ですから、と続けると、敬一さんの表情に陰が浮かぶ。

「杏ちゃんにも、好きに選ばせてあげて下さいな」

「……うぐぐぐぅむぅうう」

「あと、もうそろそろ椋ちゃんの相手の事も……」

「……んぐぐぅむぅううう」

「考えておいて下さいね。私、お料理を準備しなきゃいけません」

 そう言って、私は部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 ピンポーン、とチャイムが鳴り、私は玄関に向かった。

「あらあら、こんにちは」

「お母さんただいま」

「お久しぶりです、お義母さん」

 柊さんはキラリと背景が光りそうな笑みで挨拶をした。この人には敬一さんみたいな男気はないかもしれないけど、もしお仕事に困るようなことがあったら絶対に男性アイドルグループとして再就職しても問題はないと思う。

「やっほー、お久」

「あ、お姉ちゃん」

「こんにちは、お義姉さん。ご無沙汰だね」

「やーね、そのお義姉さんっての、やめなさいよね」

 わいわいやっていると、素早い足音が聞こえてきた。そして

「椋ちゃんっ!」

 敬一さんが飛び掛らん勢いで椋ちゃんを抱きしめ、頬ずりをする。あらあら。

「あ、お、お父さん、ただいま」

「ああああ、よく帰ってきたね、椋ちゃん。ああ、今日はなんていい日なんだ。パパの大事な杏ちゃんと椋ちゃんが戻ってきてくれるなんて、こんな僥倖は百年に一度もないよ」

「大げさねぇ……毎年のお正月は集まってるじゃない」

「さぁ二人とも、パパと一緒にお話をしよう。それから昔みたいに三人でお風呂に入ろう」

「え?ええええ?」

「ちょっとパパ、それいつの頃の話よ?!」

 ははは、と笑いながら敬一さんは杏ちゃんと椋ちゃんの肩を抱いてリビングの方に歩いていった。それだけなら微笑ましいのだけれども。

「あの……」

 玄関で勝平さんが佇んだまま苦笑した。

「また僕って忘れられてますか?」

「いえいえ、そんなことないですよ」

 

 

 

 

 

 

「椋ちゃん、ごめんなさいね、少し台所のほうを手伝ってくれるかしら?」

「あ、はーい」

 リビングで四人が談笑しているところに私が水を注したのには訳があった。椋ちゃんが台所に来ると、私達は肩を並べてガスコンロの前に立った。

「ねぇ椋ちゃん、杏ちゃんのボーイフレンド、ってどんな人?」

「どんなって……」

 言葉に詰まる椋ちゃん。

「え、えと、面白い人だよ。私が高校三年の時にクラスが一緒で、二年の時はお姉ちゃんと一緒だった」

「あら?それってもしかすると椋ちゃんと杏ちゃんがずっと好きだった人?」

「違うよ。岡崎君、もう結婚してるし」

「……ごめんなさいね」

 すると椋ちゃんはふるふる、と頭を振って笑った。

「ぜんぜん平気。だって私、勝平さんといられて幸せだし、勝平さんを選んだのは、勝平さんを本気で好きだったから」

「あらあら」

 高校生のころは少しか弱いところがあった椋ちゃんも、いつの間にかこんなに強くなったと思うと、少し誇らしいような、何故か寂しいような。

「でもね、春原君 − お姉ちゃんの彼氏だけどね − 春原君は岡崎君の親友で、二人でいつも授業サボってたりしたの」

「あらあら。春原君って不良だったのね」

 少しワルなお兄さんに、杏ちゃんは魅かれちゃったのだろうか。

「不良と言っても、そんなヤンキーとかそういうのじゃないよ。何ていうか……」

 椋ちゃんは言葉を探しあぐねた後、とある単語を見つけたがそれを果たして言ってしまっていいものか悩んでいる顔をした。

「どうしたの?言っていいわよ」

「そう?じゃあね、春原君はね、強いて言えば」

 すぅ。

 

 

「どうしようもないヘタレ」

 

 

……

……

……

「そう、なの」

「で、でも、今じゃちゃんと働いて、自立してるんだよ。それに、お姉ちゃんともうまくいってるみたいだし」

「そ、そうよね、それが大事よね」

「それにね」

 ふっ、と椋ちゃんが笑う。そういえばこの子、よく笑うようになったなぁ。

「春原君って不器用で、少し、かなぁ、まあちょっと抜けてるところはあるけど、気が利くところもあるし。何より一緒にいて飽きないし」

「……そう」

「ま、お母さんも会ってみないと」

 そう言って笑う椋ちゃんに、私は言わなければいけないことがあった。

「ところで椋ちゃん、あなたの目の前のお鍋、焦げてない?」

「あっ!!」

 

 

 

 

 

 

 春原陽平さんは、何というか、面白い人だった。

 よほど緊張していたんだろう、何故か白のタキシード姿で現れた彼は、玄関で靴を脱ぐのを忘れそうになり、敬一さんの殺気のこもった視線を受け取った。

 顔は、悪くはない。二枚目とは言えないけど、不細工ではない。敬一さんを最上級とすれば、上の下くらいだろうか。しかし、そんな印象はあくまでも黙っていればの話で、杏ちゃんと話をした途端、ああこの人は三枚目なんだなぁ、と悟った。

「ねぇ、杏ちゃん。これは何かの冗談かなぁ?」

 敬一さんが頬をぴくぴく動かしながら強いて笑った。

「春原君、だっけ?やだなぁ、私をひっかけようとしたんだね?」

「違うわよ?陽平はあたしの彼氏だけど?」

 敬一さんは数秒固まった後、すたすたとリビングを出て行った。しばらくして二階から「嘘だぁぁああああああ」という絶叫が聞こえた。

「あ、あの、敬一さんは少し動転しているようだから、また後で降りてくると思います」

「お父さん、あれで結構大げさなところがあるから」

 あ、あはは、と陽平さんは苦笑いを浮かべた。

「さてと、敬一さんがいないから丁度いいし……」

 不意に勝平さんがびくり、と反応する。

「あ、あの、お義母さん、まさか、あ、あ、あれをするんじゃ……」

「大丈夫ですよ勝平さん。一瞬で終わりますから」

「い、一瞬で……」

 ドロドロドロ、とすだれがかかる。

「陽平さん、あなたは杏ちゃんにもしものことがあったら、どうしますか?」

「もしもって……」

「例えば暴漢に襲われたり、地震が起きたり、火事に巻き込まれたりしたら、杏ちゃんを守ってくれますか」

 私はそう言いながら立ち上がる。勝平さんはドアにじりじりとにじり寄った。

「も、もちろんですっ!杏は僕が守りますっ!」

「あらそう……うれしいです。でもね、そういうことを言うからには、それなりの体躯に恵まれていなければいけないこと、わかりますよね?」

「え……あ、はい」

 本棚の前で立ち止まる。

「そう」

 一冊を手に取る。

「よかった」

 振り向きざまに投げたその家庭料理全集は、陽平さんの頭に直撃した。

「よし、殺った」

「殺った、じゃないよお母さん」

 椋ちゃんが呆れたように言う。ちなみに、勝平さんはもうすでに逃げている。あらあら、試験にはパスしたからもういいのに。

「お姉ちゃん、心配しなくていいの?」

「ん。まぁ、陽平がこんなんで死ぬわけないじゃない」

「死ぬよ普通っ!!」

 がばっ、と起き上がる陽平さん。あらあら、元気がいいわね。

「陽平さん、私があなたに求めるのは、杏ちゃんを守ってあげられる男性であること。それだけなの。だから、私の図書館から一分間逃げられたら勝ち。それだけのお話よ?」

「それだけって、メッチャクチャハードル高いっすよねぇぇええええっ!って、ひっ!」

「お掃除の仕方」が陽平さんの頬を掠める。無論、杏ちゃんも椋ちゃんも難なくかわしている。まぁ、本気じゃないですからね。

「さぁ御遊戯の時間よ。鬼ごっこは得意かしら?ドッジボールの授業には出てた?徒競走の成績はどうでした?何にせよフルに活用して、私を愉しませてくださいね」

 ちょうどいい重さの「必須!良妻の家計簿大全」を手に取る。

「さっきと目的が違ってきて……ひぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!

 

 

 

 

 

 リビングには、微妙な空気が沈殿していた。

 テーブルの上座に座るは、何とか自分を立て直した敬一さん。その右隣りには苦笑する勝平さんと椋ちゃん。そして左隣には

「結局、また仕留め損なっちゃったわね」

「惜しかったわよ、ママ」

 何とか生き延びた陽平さん。おかしいわね、絶対に数度は手ごたえがあったのに。

「陽平はそれなりに丈夫だからね。だからいて楽しいの」

「あらあら」

 私達は台所で笑った。ちなみに私達はリビングからの会話を聞きつつ、四方六尺以上は聞こえないという闇語りで会話をしていた。これもまた、乙女のたしなみという奴だろう。リビングから、敬一さんの不機嫌を隠そうともしない声が聞こえてきた。

「春原君、と言ったね」

「あ、はい」

「君は杏ちゃんの何だったかな?おじさんにもう一度言ってくれたまえ」

「は、はぁ。僕は杏の、その、彼氏です」

 どんっ

「やーね、パパ、またテーブルを拳で叩いてるみたい」

「あらあら。パパには後で言っておこうかしら」

「杏ちゃんがほしくば、この私の屍を越えて行けっ!!」

「あんたら、すっげぇ似た者夫婦っすよねぇええええええええ!!」

 すると敬一さんの声のトーンが反転する。

「お?そうかねそうかね?ははは、いやぁ、それが即見抜けるとは、春原君実は君、頭がいいんじゃないか?」

「え?い、いやぁ、そうかなぁ、あはははは」

「もう、陽平さんったら、そんな当たり前のことを言うと恥ずかしいじゃない」

 私もうれしくなって、つい杏ちゃんに言ってしまった。

「いや、ほめてないほめてない」

 突っ込まれてしまった。

「それで、君は杏の事をどう思ってるのかね」

「もちろん愛してくれてるのよ」

 ふふん、と私に胸を張る杏ちゃん。敬一さんに聞こえていたら、絶対に陽平さんはミンチになってしまうと思う。

「あの、その、とっても可愛い方だと」

「とっても、可愛い、だと?」

 ガタン、と椅子が倒れる音がした。ついでがばっと何かを掴みあげる音も。

「キッサマ、今すぐ訂正しろ!杏ちゃんはな、杏ちゃんはなぁ、椋ちゃんと一緒に銀河一の可愛さを誇る女性なんだぞっ!今すぐ訂正しろ」

「ひいっ!きょ、杏さんは、銀河一可愛いですっ!!」

 今度は杏ちゃんが頬を赤くして笑う番だった。

「全くもう、陽平ったら、何恥ずかしい事言ってるのよ、馬鹿」

 言い方に非常に問題があるんじゃないかしら。

「それで、杏ちゃん。最後に一ついいかしら」

「ん。何、ママ?」

 私は杏ちゃんに向き直った。

「どうして陽平さんを選んだの?」

 まっすぐと紫の瞳を覗き込む。その瞳が、逃げずに私を見返す。

「よく……わからない」

 杏ちゃんはため息をついた。

「あいつ、馬鹿だし、ヘタレだし、普通の女性が理想とする恋人とは遠く離れてる事は知ってる。でも」

「でも?」

「一緒にいて、楽しいの。馬鹿だけど、気を使ったりしてくれる。ヘタレだけど、いざとなったらなりふり構わず来てくれる。私が落ち込んだり悩んでるときは、話を聞いてくれる」

 そこで視線を落として、そして私を見つめなおした。

「だから、あたし、あいつのことが好き。客観的に見て釣り合わなくても、あたしは、あいつがいいの」

 しばらくの間、私達は何も言わずに立っていた。しかしその静寂も長くは続かない。

「貴様ぁぁああああああああっ!」

「ひぃぃいいいいいいいいいい!」

 それで私達は相好を崩して苦笑する。

「確かに面白い人よね」

「でしょ」

「勝平さんみたいな人も歓迎だけど、義理の息子が一癖ある人、っていうのも面白いと思うの」

「ちょっとママっ!話早すぎっ!!」

 私達の笑い声は、リビングからの奇声によってかき消された。

 

 

 

 

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